アイチュウオタクの備忘録

愛童星夜くんとノアさんのファンで、I♡B推しです。

Candy Boyのリリイベに行った話

※アイ★チュウの話ではない

 

アイ★チュウの話ではないけれど、Candy Boy

の2ndミニアルバム「Les Candy Boy Ⅱ」のリリイベに行ってきました。

アイチュウの話じゃないけどそういうことなのでとんだミーハーオタクの日記です!!

前半半分くらいドキドキハラハラ初めて凸する現場冒険記なので、パフォーマンスについての話は中盤くらいからどうぞ。

 

アイステージ新作上演の来年4月まで、今持て余してる感謝の気持ちをどう還元したらいいものかみたいな、この気持ちをどうしたらうまく伝えることできるのかなの精神を床に転がしてたら名古屋(地元)に向こうが来てくれるとか言うから、カモがネギしょって歩いてきたみたいな感じ。

名古屋とか岐阜、来てくれるの嬉しいけどおいしいもの特にないし、目立った観光地もないし、方言も可愛くないし、田舎だし、蒸し暑いし最悪だし、何よりコミケ開催期間中に来ていただいて申し訳ない…。どんな人が来ても思うけど…まあ私はスガキヤもあんスパも味噌カツも大好きです。

 

(余談だけどセイヤンの週にセイヤン積むかCandy Boyをみにいくかで悩んで結局どちらも行かなかったからカっとなってるうちにチケットは買って後戻りできなくした方が絶対いい)

 

 

----------------

"Candy Boyは“フレンチ”をテーマにしたトータルエンターテインメント集団。
カフェを舞台に、世界中から集めてきた記念日「CandyDay」をテーマにしたストーリーを、お芝居・フレンチポップな楽曲たち・バレエリズムダンスでお届けする、エレガントで新しい形のエンターテインメント集団です。"

(公式サイトから引用)https://candy-boy.jp

-----------------

ド正直に言うとCandy Boyさんのパフォーマンスは星夜くんはじめ新キャストが発表された時にさらっと検索してみた程度で、もう完全に前知識0に近い状態で行きました(すみません)

更にごめんなさいを重ねると具体的に何者かもよくわかってなくて、そんな中で「カフェ」「舞台」「2.5出演」「なんだか公演で軽食が出る」それでもって「歌って踊る」と言われて情報が散らかりすぎてメンバーの顔がいいことしか飲み込めてなかった。(すみません)

 

そのような前提で、さらに言うとサンシャインサカエで整理券をもらうのも始めて。どのくらいのオタクが群がるのかもどのくらいの時間に物販いけばいいのかもわからないままソワソワしながら駅につき物販で通常版と初回盤を購入。特典会参加券ももらったけど、これも右も左も分からないので何枚持ってるのがマストかもよく分からないまま開演時間まではお友達とお茶してました。

 

話それるんだけど、「Qサンシャインはサンシャインでもアイチュウが来てくれないサンシャインってな~んだ!Aサンシャインサカエ」などというクソなぞなぞを少し前に発明したばかりだったのですが、来たがな!アイチュウ来たがな!!

厳密にはアイチュウではないが、サンシャインサカエに降り立ってくれたアイチュウ(の魂をもった人)は川井雅弘さんが初めてなのでは!?サンシャインサカエのアイチュウ処女を奪ってくださりありがとうございます!!

 

時間になって整理券番号順に並んでいる列に入り、「何番ですか?」と並んでいるオタクネキに声をかけて自分の番号の位置を探す。

もうこれは!10数年前から慣れてるので大丈夫です!大丈夫だしオタクネキ達がソフトな対応をしてくれたり笑顔で返してくれたりしてなんだかマイルドだったから安心してもうこの時点で楽しくなってきてた。(全体通して思ってたより全然怖い女オタクたちの巣窟じゃなかったので安心した)

 

開演前のスタッフさんのMC終わり、メンバーのビラ配りも終わるとステージの裏を通って上手側からメンバーが横1列に整列する…

 

まーくんだ!!

 

愛子ちゃんを見つけたプンプンさながらの気持ち!

本当におもしろくない感想だけど、「本物」を視認した時の気持ちって「いる!」って気持ちに支配されがちじゃないですか?強いていえば「顔がいい!」とか…お前普段のTwitterランドでのふぁびょった語彙はどこに行ったんだよと。「星夜…生きてる…本物…」のオタクに心からリアリティを感じる。

 

そんな私のわあ!としたざっくりした感動をよそに曲とパフォーマンスが始まりまして、ざっくりした感動の中で感じたのは「この世の善意を全て回収して作られたエンタメかよ」。

いや、なんかこう、すごいピースフルで!?Happiness!?小さなお子さんに与えても一切の害のないような、普段私どものようなくそサブカルゴミクソオタクが好んで摂取している世界とはかなり違う優しい世界が繰り広げられて、なんだか唖然とした…

 

というか、というかなんだけど、何よりも「なんじゃこりゃーー!!」なのはCandy Boy

さんのダンス、バレエみたいな…ほんと、バレエみたいなんです、嘘じゃない本当!サンシャインサカエの地獄の熱気の中で若くて綺麗な男の子達がバレエやってた!!バレエリズムダンスってそーゆーのでしたか!とんでもねえ!!

ドガの絵画とルノワールの描く美少女を混合させて作ったかのような世界だったんです、びっくりした。

骨董品のお店にある陶器の可愛いバレリーナが踊っているようなあぁいうポーズとか、バレエの動きと思って想像するあの…繊細で叙情的、ロマンチックなタッチの動きの闇鍋!!!ってくらい、「私たちがみたいと思う美しいもの」が目の前で演じられた。そこまでする必要ある!?ってくらい。

ほんとにほんとに白鳥かタンチョウのダンスかシフォンレースの揺らめきかってくらいフェミニンでハッピーなパフォーマンスだった。ハンカチを降ることも覚えた。(ポルノグラフィティでいうところのハネウマライダーのようなタオルぶんまわし系の曲がありました)ここまでが頭の2曲(だったはず)の話です。

 

前述の通りピースフルでハピネスな優しいパフォーマンスが展開されてなんだか楽しくなってきたかもしれないぞ!とちょっと強ばっていた肩が下がり始めたところで始まった曲、ここからがよくなかった…すごくよくなかった…簡単に言うと、

なんかしらんけどいきなり宗教になった。

 

曲調がバラード寄りになって、少し90~00年代の余韻を感じるリズムでは?と思いまた楽しくなっていたんだけど、さっきまでの世界中の善意をメレンゲで固めた甘いお菓子みたいなパフォーマンスから外れて…

なんか、ギリシャ神話…?って感じになった…

バレエっぽいダンスはそのままに、めちゃくちゃ美しくて、というか美しさ極振りでさっきまであったシロツメクサをつむ少女のような面影はどこへ行ったのかと問いただしたくなるくらい厳粛で儚げな美しさが爆盛りになっていた。もう大変。

ここで本当の意味の、ドガの「エトワール」の雰囲気が近いなと感じます。退廃的で陰鬱さを孕んだ叙情的な美しさが。※個人の感想です

川井雅弘さん、アポロン像か?と思ったもん。

「夜空の約束」だったかなあ~と思うんですけれども、最後のポーズがパルテノン神殿の柱の並びのように美しくて白い柱の背景に広い夜空がみえるようだった。あの時だけサンシャインサカエギリシャになったよ。

あともう1曲、こちらも大変なダンスでもうその時私は頭がぐわんぐわんして、熱中症かな!?と思うくらいだったんだけど、そんな中歯を食いしばって硬直しながらみていた曲とダンス、もうそのシーンのためだけに、そのダンスをみたいがために夜も行ったっていうシーンがありまして!!

参考資料がなくて歯がゆいんだけど、なんか社交ダンスとかでよくみる1人が相手の腰を支えて支えられたほうは仰向けに背を少し逸らすみたいなの、ああゆう感じのもっとなんか魂に突き刺さるやつをやってて!川井さんが!!

よすぎて帰ろうかなとさえ思った。

電流走る…ッ!!てこういう事だよなあと思います。すごくショッキングな光景だった。全人類にみてほしい…私の語彙がないばかりに分かりにくいですが、百聞は一見にしかずなのでCandy Boyさんのパフォーマンスをみにいって衝撃を受けてください。

 

あと、何周か名刺ガチャ(CDを買ったら特典会参加券がもらえて、「メンバーのランダムメッセージカード(名刺サイズ)」を、並んだ時にくじ引きで当てたメンバーに引いてもらえる)も並んだんですが、基本的に大人しくオタクの話を聞いてくれるお人形さんって感じで、無害をメレンゲで固めたお菓子か~!?って感じでした。基本的にメレンゲで固められている。

特典会はオタク1に対してメンバー3~4人だったんだけど、オタクが誰か1人に対して話してても他のメンバーが我関せずって感じじゃなくて、空気の中にちゃんと在籍している雰囲気があったのがすごく素敵だなと思いました。

接触でおしゃべりしてもらった事は割愛しますが、めちゃくちゃ優しいし息をするように接待を受けたので早く課金がしたいなあと今は思っています。

 

う~んなんか、漠然とだけど「いい現場っすね…」とニヤニヤした。

というのに一つ話があって、「Oh!シンデレラ」という曲が日替わりセトリだったんだけど、それが始まった時のオタクの反応がすごくよかった。最近で言うと「天気職人」のイントロが流れた時のオタクの阿鼻叫喚のような…とにかく「オタクが好きな、毎回やらない曲(もしくはいつも大興奮する曲)」がきたときの地獄絵図だった。ムンナイ浴びた時のPの様子を控えめかつ小規模にした感じだった。私の体感では。

その曲がオタクネキたちの間でどんな宝物なのかは知らないんだけど、そういう「嬉しい地雷」があるらしいことを体感してなんかすごく感動してしまって幸せになった。

そういう現象があるってことはステージと、作品と、ファンの間に思い出や財産があり、確かな歴史があるということなので…

あとCandy Boyさんがアイチュウくんと同級生だそうなので、枠の外で重ねてしまいそこでも感極まってしまった。本物のにわかなのに「Oh!シンデレラ」の時はちょっと泣いてた。

オタクと偶像との関係性や歴史に弱いから、Candy Boyさんも彼らを支えてきた歴史の一部であるオタクネキたちもめちゃくちゃ幸せになってほしいと思う…。

 

とにかくすごく楽しい現場でした。

おさらいすると、

Candy Boyさんは総合エンタメ集団なのでなんか色々やって楽しませてくれる

☞綺麗な男の子がメレンゲのお菓子のようなパフォーマンスをする

☞綺麗な男の子が神話のような圧倒的力と美のパフォーマンスをする

☞綺麗な男の子がバレエを踊る

☞綺麗な男の子が小指を繋いだり手取り腰とり踊る

☞歌がうまい

☞動きも世界も演出も上品でいい気分になる

☞別に怖い人はいない

☞川井雅弘さんはプロの太陽神

 

です!なるほどね~

本当に「い、いいものをみた…!」という意味では「光のメサイア」と言ってもまあ間違いではないくらいに満足感と良くしてもらったという実感が半端じゃないので、衝撃受けてほしいです。私だけ衝撃受けっぱなしなの嫌~!!

 

本当に、新しい星夜くんどんな人がやんの…?って中(その時まだ世界は地獄だったしな)で検索した時、「なんかよくわからんがアイドルか?」って気持ちで軽く終わらせてたけど、蓋を開けてびっくりだったからものはちゃんとみてみないと分からないなあ、昨今は上質なエンタメが重箱の隅にこそっとくっついていたりはたまた重箱の蓋の裏にくっついたりなどもしている。食べてみたらめちゃウマとかざらにあるなあ。

 

メンバーごとの衣装のアレンジも可愛かったし、何より靴もコーデにあわせてあるとこが可愛かったな。

普通にCandy Boyさんが今1番早く行きたい現場なので、現金握りしめて会場に行くのが本当に楽しみです。

 

 

セイヤンを観てきた話

※アイ★チュウの話ではない

 

アイ★チュウの話ではないけれど「勇者セイヤンの物語〜ノストラダム男の大予言〜」を観劇しました。

アイチュウの話ではないといいつつそういうことなんだけれども(据え膳食わぬはオタクの恥 ビジネスには乗っかからないと失礼だろ)

 

感想の備忘日記なのでネタバレというほどでもないけど内容に触れるのでこれから円盤でフレッシュな気持ちでみるって人がいたら読まない方がいいと思う。

 

まずシリーズものなのに、ノーガードガバガバで行ってもすごく楽しめた!

楽しめたし、「ああここは前作までの内容を掘り下げなりスポイトして広げてるのな」って所もあったしそれがわかりやすくてよかった~!

メタい感じとかがドットゲームの世界観(ドットゲームの時代のムーヴと親和性が高いというか…)とあってて、サブカルチャーのくすぐったさがあってニコニコできた。

 

一番お得と感じた所ですが、「女性が可愛い」!

男の子目的で行っておいてなんだけど、生き物として女が圧倒的に大好きなので女が活躍するだけで喜び笑顔になってしまった…女とはよい生き物だ…存在だけで嬉しい。

私が初見キメた回はソウコ役が田辺留依ちゃんだったんですけども、声の可愛さに圧倒されたし時折桑島法子の波動を感じて懐かしい気持ちになってメロメロになってしまった。初舞台と何度も言われていた気がするが私はその言葉を信じられないのでたぶん私が知ってる「初舞台」と違う意味があるんだろうなあと思う。

アフタートークで挨拶しながら泣いて喋れなくなってしまう田辺留依ちゃんをみてしまったとき、席代以上の金額を支払わないと違法な気がしてハラハラしたしどんな舞台でもだけどキャストのそういう、物語の枠を出た所まで、演じた物語やキャラクターが侵食してしまっている様をみると「そんな大切なものを無料でみてしまうのは本当に申し訳ないしその涙や気持ちは大事なものだからはやくしまって暗所に保管してください」と思っている…まあありがたく拝見してしまうんだけど…。

声もお顔もお芝居も可愛かったからまたうっかり別現場で田辺留依ちゃんみれたらめちゃくちゃハッピーだなと思いました。ヒロインぢからが強かった。

スラウィムの二人などは2018年ベスト百合賞を授与されていいくらいお行儀の良い女2人の叙情が働いたキャラクターだったので、このふたりと3ショットチェキが撮りたかった。1枚3000円くらいで。

あとマカロン王女のきれいでちょっと女性優位のお姉さんって感じのところは私の童貞心が活発に働いて「こ、困るニダ~!!」と口元を手で覆ってしまったし、ダリアとアイビーのような社会的スペックは同じ女の憎悪の絡む執着の関係もその都合の良さも、「関係」であることに変わりなくて楽んじゃいました。

後から気づいたのだけど、歩兵のお姉さん…「気が強そうな女だ!いいなあ!」と思っていたんだけどこの人…「初等教育ロイヤル」で不思議なタイツのはきかたしてた気の強そうな女だ!!気の強そうなきれいなお姉さん…気の強そうなきれいなお姉さんじゃないか!!

初等教育ロイヤル」はみにいこうとした週に事故にあっていけなかった人だからまだ履修してないんですけども、パンフみせてもらって目をつけてた女はいたし歩兵3と清水さん役の林千浪さんのこと「いい女じゃん」認識していたので、私はこういう気の強そうな女が好きなんだなあと新しく自分の要素を認めることができました。よかったです。

 

本題がここからで、口の中を苦くしていることの話。「セイヤンめちゃくちゃ悲しい話じゃん…」っていう話です。

 

「セイヤン」シリーズは今回の作品が初見で、本当に前知識0(過去作で橋本真一さんが出てたことくらいしか知らない)で観にいったど素人の感想だからムラや矛盾はあると思うんだけれども。

 

世界観やビジュアルがポップだったので、明るく楽しい舞台だと思って行ったのに、な…なんか観終わったあとの気持ちとしては「そんなん聞いてないが…」という気持ちが強い。

 

それまで自分という「個性」を、当たり前に認め「これは自分の意思だ」と思って決断選択し喜怒哀楽して大切なものを得てきたのに、その全てが「別の存在の鏡」だったって事実、例え「君と俺は二人で一人」という存在のあり方を提示されても「自己や存在の否定」に変わりないのでは…と思う。「自己や存在の否定」がある事がとにかくつらい。

 

けどそもそもセイヤンの旅(=人生)の目的は、運命の人を探すことにあるので、ソウコと出会い互いを認めたことで救われてるから、セイヤンが自分の主観だと思ってきた時間が終わったとしてもその「終わりの時」にソウコが隣にいるので、セイヤンの旅(人生)の目的は果たされたのかなとも思うけど、でも存在の否定があった事実は変わらないし、ソウコの「あなただけのヒロイン」概念は、セイヤンが「自己の存在を否定される存在」であることにより成立するものなのでやりきれない。(2人の出会いとその存在を認め合い寄り添えること自体は素敵なのにそのルーツがお互いにあまりにかわいそうすぎる)

 

勇者1のポカで生まれてしまったセイヤンという存在自体、「子供は親(「自分」ではない生き物の行動や決断)によって命をもち、生きることになる」ことのような、誰かの一つの行いによって自分の意思とは無関係に生きることになったもののような、命の輪廻の中にあるある種の「不条理」をそのまま投影してるかのように感じて口の中が苦かった。(この世界観の中で「自分のルーツを知る」ことが幸か不幸かっていうのも掘れそうな話だ)

私個人、誰かとの関係によって自己肯定をしないというか、自分というピンの個性が何よりほしい人格なので、例えソウコというメサイア(めちゃくちゃ悲しいメサイアだ)を得ていたとしても、(ソウコからしたらセイヤンがメサイア)

「セイヤン自身」の中で完結する自己肯定は得ているのか、ソウコがいなくても成立するセイヤン自身のアイデンティティは存在するのか(実際、冒頭のソウコ未登場の自己紹介シーンでそれは存在していたし)と考えるとなんだかやきもきする。

 

そして何よりもやはり、みてる人…このシリーズを愛しここまで見守ってきた客席側のみんな。「ここに立っているキャラクターは主人公で、自我をもった独立した生命だ」と、その生命に信頼を寄せてみていたのに、それがバグ(本来あってはならないもの)として突きつけられて、

信じてみてきた心寄せていたキャラクターが暗闇へと「行ってしまう」ことをトゥルーエンドとして認めなくてはいけないこと、悲しすぎない?!えっ、悲しくない!?私は悲しいよ!?

 

本当、何を言っても現時点私は今までのセイヤン達のこと知らないのでセイヤンの幸福やその人生がもった意味とか、そもそもシステム色が強いこの世界の主人公であったセイヤンの「幸福」や「人生」がどんな温度で存在していたのかさっぱりわからないんだけど。

けどめっちゃかわいそう~悲しい~~…と思わずにいられない。

何かを知っていれば、何かを感じていればハッピーエンドに感じられるという作品は沢山あるので、たぶんその類の作品なんじゃないかなと思うんですけれども。

そう思うと過去作未見の今しか考えられない感想だからこれはこれで残して置こうと思いました。

エンディングで描かれたクエストクリア後の穏やかで優しい世界、犠牲はあったし(過去形)何ならその裏で現在進行形で犠牲がある(この言い方に多少の語弊感じるけど)のも、世界のバランスの縮図かなぁ…と、思っていた何10倍もこの作品から汲み取れる「世界」が多すぎて、「そんなん聞いてないが…」でした。

 

えっ、ひどくない?普通にセイヤンかわいそうだしソウコの存在もかわいそうじゃない?かわいそうって思ったら失礼なのかもしれんけどかわいそうじゃない!?たぶんしばらく思い出してはリフレインしてると思う。

 

マカロニ王子もかわいそうで劇中「かわいそう…」と思って観ていたんだけど(目当てに見にきた俳優の役3分の2がかわいそうだったからほとんどの時間メイン感情が「かわいそう」だった)なんだかんだ救われてよかったし、まあもう、「とんだ自分勝手メンヘラ女にしてやられたもんだな」と同情が強かった。まともな女とくっついてほしいニダ。

 

「俺たち2人の物語、勇者セイヤンの物語だ」

のセリフに答えが全部あるとも思ってて、5面のボスは勇者1になついて2人の関係性作った上で発展したこともある訳だから、この時点で勇者1とセイヤンは別のルートを辿っていて。別の個性といえるなあと思うと「2人の別々の存在によって作られる物語」であることの根拠に出来て、なんかそこを注視すれば私の中で色んなものが救われるような気がしなくもない。

 

なんか都合よく考えてるか?とも思うんだけど、最初に出てきた時の勇者1の立ち振る舞いが割とスタイリッシュでかっこいい説得力ある勇者だったと思うんだけど、一番最後の勇者1が、セイヤンのわはわはだばだばした感じの雰囲気、仕草がみられて「アァ…」とした。

あと土曜マチネ、カテコのあと最後のひとりになってはけていく最後ギリギリの際までセイヤンらしいセイヤンの表情や仕草の余韻を残して佐川大樹さんがはけていったのをみて「どこまでが勇者セイヤンの物語であるのか…」と哲学の人になってしまった。めちゃくちゃ好き

 

あと前作みてないから何だけど、序盤のわははでだばだばすってんどってんの表情も行動のモーションも大きく朗らかで快活なセイヤンが後半ナーバスで悲哀のあるムードに染まってしまうの、かわいそうだけどセクシーですごくよかったですね、すごくよかったですね…かわいそうといいつつ美しい男が苦しんでいる姿を金を支払いみるのはとても楽しいことなので。佐川大樹さんのお芝居の振り幅が広くて「わひゃあ…」としたのもだけど、劇中現れるセイヤンの感情の振り幅としても広くて、その広さとか素直さがセイヤンという主人公がもつ像そのものなのね、と思い漠然した気持ちだけど涙が出た。

セイヤンというキャラクターと対峙して彼を知ったのがこの数日の出来事の人間に、感情を引き寄せて同情や擁護の気持ち、理解をしようと促せるだけの引力を持っていた存在は、その存在のルーツがどうであったとしても主人公の冠が相応しい。「キャラクター設定としての主人公枠」が基礎概念にある世界の中で、「何か特別なもの」をもって物事を動かせた所は、設定の枠を超えた本質の「主人公」だったのかなあと思った。それだけの説得力をもったセイヤンを演じた佐川大樹さんの主人公ぢから、佐川さんのどのへんから出ているのか夏休み子供科学電話相談で聞きたい。

(佐川さんエアプだけどこの1年くらい?で観た佐川さんが広い意味で何でも屋さんすぎてどこからどう殴られるのかがわからなくて怖い)(恐怖は興味関心好奇心)

 

愛童星夜くんのファンだから、「主人公ポジション」とか「主人公っぽさ」などはどこから生まれてくるのかってことを考えるし、愛童星夜くんを「主人公というシステムとして扱わない」ところがアイチュウの大好きなところなんだけれども。セイヤンの主人公たる姿はその逆流で考えられるものだったのかなぁと思う。これまた気が向いたら日記するね。

 

細かいことまだ色々思ったことあるけども、総合してすごいおもしろかった~!弊社土日休みだから平日来れんけど、正直死ぬほど暇だった平日とか公演期間中にあったからどうにか何とか駄々をこねて休みを作ってセイヤンみにいっとけばよかったとか思った。ワルなのですぐにサボろうとする。

チェキ会のある現場(チェキ券買ってつめるような催し)初めて入ったんだけどあんだけ動き回ってソワレも控えてるのに大勢のキャストが長い時間チェキ会参加してくれて、大丈夫なんですかってくらい福利厚生がよすぎるチェキ会だったのでビビり倒しました。関わった全ての人、キモオタクに漏れなく優しいからすごいなあ。優しい人の優しさにつけ込んでしまった感じがするから悔い改めて生きていこうと思いました。接触現場は禅寺。

 

 

爆走おとな小学生さんの企画が楽しい楽しいハッピーコンテンツだということはよくわかったので、まあ今度はそのつもりで予定をたてよ~と学びました。12月じゃなければ軽率に回数つみたいよ。

あと佐川さん登野城さん須永さんのセット売りビジネスにガンガンのりたいのでできるならまた是非お願いしたいなって思いました。うるせーーーーー金が回ることはいいことだろ!!!!!!!!

 

久しぶりに舞台らしい舞台(?)をみたし、だばだば泣いて感情ストレッチデトックスしたのでほんと楽しかった。台風すごかったけど、無事に岐阜にも帰ってこれたのでよい週末の過ごし方でした。おやすみ。

 

I♡BのオタクとMydestinyの話

このオタクの日記を読んでるおともだちは、「エモい」とこの半年で何回発言しましたか。

私はこの半年で一番「エモい」ものに問答無用でボコボコにされたのは「メサイア月詠乃刻」でした。エモーショナル男2人ワンダーランドの目玉ジェットコースターに2時間半乗せられ続けて意識を失ってる間にカテコが始まってたから、エモいと思ったかどうかも正直覚えてないけど…

 

エモいって言葉が流通してまだ日が浅いような気がするんですが、アイチュウでここまでのエモさを感じたのは初めてかもしれないって話からの日記です。

 

去る2018年7月16日東京国際フォーラムで開催されたLIVE!!アイチュウ ザ・ステージ〜Les quatre saisons 〜 

このセトリ、神セトリでしたが途中何か知らんけどひどいエモさで窒息死しそうなところありませんでしたか!?あった!

エモーショナルタイムの境界線は個人の判断に任せるとして、ピンク!パステル!ポップ!キュート!女児向けアニメの食玩についてるラムネか飴ちゃんかと思って間違えて食べちゃった!って感じのデザインや世界観の「アイ★チュウ」の可能性の魅力のひとつをまた見せつけられちゃったなぁとすごく嬉しいです。

 

爆エモタイムの中にあった、「Mydestiny」の話です。

 

私はI♡Bのオタクで、だいぶ最初の頃からI♡Bという箱が好きだったんですけれども。

その中でもMydestinyが一番大好きな曲です。

Mydestinyを好きな理由として言えるのは、「伝えようとするものが内に向いてるから」が大きい。

当時解放して、まあこの時も「なんて爆エモな曲なんだ…」と出張先のホテルのベッドでくたばっていたんですが。

他のグループが割と「こちら側」に手を差し伸べてきてる印象というか、「誰かへ」向けて言葉を発信してる感じがしていた中で(世の中の表現されているものの多くはそうだと思う 歌は特に)Mydestinyは「内に向かって」言葉を発して、自分たちの気持ちや今を伝えてきてる感じがした。

「作詞も作曲も演奏も歌も全部自分たちで完成させているバンド」というI♡Bの基礎スペックを前提に、今奏でたい音や言葉が、自分たちの友情やお互いを想い合う繊細な気持ちなんだ…。

そう思うと、17歳の強くしかし壊れそうな感情や時間に気持ちが震えまくってしまって、I♡Bめっちゃ尊いな…と使い古された言葉をリフレインしてしまって。大好きが加速しました。

 

という感じで私はMydestinyから感じる、I♡Bの「あくまで自分たちの時間に今一生懸命で、自我の形成や自分のルーツの肯定、それを踏まえた上でどう人と関わって大事なものをみつけるか、その道の途中」って感じの17歳等身大の素直で透き通る言葉と音楽にメロメロでした。メロメロです。

これも使い古された言葉だと、「箱庭感」を感じていて、いいなあと思ってた。今も思ってる。

 

ところがで、アイステージで朝陽が叩いた鍵盤から生まれたあの一つ目の音…あの音と共に始まった「プロデューサーのために選ばれた曲」の「Mydestiny」は、何やら私が思っていたその曲と、様子が違った!

先に言っておくけど決して悪い意味ではないです。

なんか…ほんとそのままの意味で「プロデューサーのために選ばれた曲」だった。

 

「僕達がこうして出会って今という時を紡ぐのは気が遠くなるほどの確率」

「さよならありがとうごめんなさいとそんな言葉暗くなった部屋の隅で吐いた」

「水の上をすっと滑るようにスライドあっという間だったまるで魔法だった」

「僕がたまに小さく呟いたフレーズ全部忘れずに集めてくれてたんだね」

「たまに嫌になって愛想つきかけて だけどだけど…」

「もう一度何度でも信じるよ君のこと」

 

全部17歳の今を生きる少年たちの自伝だと思ってた、ここは誰の言葉だろうか、ここは誰への気持ちだろうか…と。

けど様子が違った。不思議なくらいに「プロデューサー(私)への言葉」として入り込んできた。びっくりした。私が大好きで馬鹿みたいにリピートしてきたMydestinyの様子がおかしくて、私が思ってるものと違うものとして今目の前で「生かされている」ので。

上にあげた言葉を初め、振り付けや、楽器に縋るように、食らいつくように、この時を離すまいとするかのような演奏をするI♡Bの姿もあまりにもショッキングで、妄想こそすれど現実で起こるとあまりの光景にただ放心してしまった…。

あんまり言うと安くなるから言いたくないけど、宗教画かよ…と思った。やっとの思いでひねり出した気持ちがそれ!色気がない!!

そんな光景…視覚聴覚、嗅覚とかも使ったかもしれない。五感の色んなところをフル稼働させて、迎えるフィナーレ、突き抜ける言葉

 

「これからも僕のこと頼むよ」

 

さ、さ、さ、3周年、エターーーーナルーーーーーーー!!!!!!!

 

あまりの衝撃に泣くことも忘れた(ソワレでは泣きました)

総じてMydestinyはやはり少年たちの美しい箱庭の中の叙情を描いたものだと思うのですが、3周年、「プロデューサーに感謝を伝えたい」という場で聴くこの曲が、こんなとんでもない曲になるなんて…

「ココロハレルヤ!」がライブで化けた話も書いたんですけども、それに似た感じというか、その時々にあわせた活用法…ズルいな~!!と歯ぎしりをしております。まあもともとMydestinyが「こちら側に向いてる曲」だったんならこんなこと思わなかったんですが。

 

でも「私の運命」だよ!?I♡BメンバーにI♡B以上の運命ってどこにあんの!?(恋愛リズムアドベンチャーの概念を無視するオタク)

 

けどこの気持ち、3年という期間I♡Bとアイチュウを好きでいたから感じる感動だと思うんです。だからその意味でも今このタイミングでもってくるMydestinyはズルいし、「そういう意図」があってセトリに組まれた曲だろうな、と。やっぱりズルい。

 

これより先も、たぶんたまに愛想つきかけたりとかまるで魔法だったと感じることがあって、お互い「僕のこと頼むよ」と思いあえる存在でいてくれるんだなあ、I♡Bは…とおもい、ほろっ…と「I♡Bが大好きでよかったなあ…」とふわふわした気持ちになりました。

 

なんか地味だけどスペシャルなハッピーをもらったんだなと今噛み締めている。大好きのみで動いている。

 

この幸福を絶やさず、発展させ、還元させていきたいし、そうして巡りゆかなければ自分の命に関わるものに「アイ★チュウ」がなってきたし、そんなおともだちをたくさん見たので、末永く続くコンテンツにしていきたいですね。

 

いい話みたいになっちゃってあれだから濁すけど、全人類2D☆STARを読んでくれ~

なぜココロハレルヤが超絶泣きの曲になったのか

LIVE!!アイチュウ ザ・ステージ〜Les quatre saisons 〜  後半、華房心さんの新曲として披露された「ココロハレルヤ!」が華房心のオタクじゃないオタクを2時間の中で一番泣かせた話。

 

もともと私は華房心さんのオタクではないし、属性としても彼女がもつものにヒットするものは特になく、初期からの「心ちゃん可愛いムーヴ」や第1回アイチュウアワードの結果についても「まあそうなるわな」と可愛くない感想を持っていた。

 

そもそもその時点でアイチュウアワードにあまりいい気持ちをもってなかった。「順位つけるのとかできるかクソが!」みたいな(なのでステのハッピーターン投票や絶叫アトラクション投票にも死ぬほど抵抗してた)まあよくあるテンプレ通りの反発でした。

 

「アイ★チュウ」の世界の中にある、かなり完成に近い、「アイドル」という存在に希望をもちその存在を愛し理解しているから、自分が愛され愛するための努力を欠かさない、アイドルとしてかなりリアリティのある人だという認識の枠を出ないオタク、というのが私と華房心さんの関係。華房心さんのエアプ勢です。

「アイ★チュウ」の世界を構成するキーパーソン的な扱いをしていないと言えば嘘になるような立場です。(推し以外に注意力が低いのでこういう愛し方をしているキャラクターは多い)

 

冒頭にも書いたように華房心エアプだけど「ココロハレルヤ!」が一番感情の堰が切れて感動してしまった。なぜ!?他にいくつもどうにかなる所はあったしまあ要所要所どうにかなってはいたんだけども。

 

数日考えて辿りついた結論として簡潔にまとまるものは「めちゃくちゃライブだったから」という理由。

 

ライブって不思議な空間なので、お家でイヤホンして聴いてた時とは違う音や違う空気がドバドバ殴りかかってくる。(ライブでアレンジや楽器が違うという場合も多々あるけど)

家や外出しながら音源を聴いてた方が「クる」曲もあれば、ライブで肌で聴くほうが「クる」曲もあるなと常々思います。

その現象が起きたと思うんです。「ココロハレルヤ!」で。

 

それで私はその「ライブで曲が化ける」の現象が「ココロハレルヤ!」で起きたこと自体に感動してるんです。

 

そもそも「ココロハレルヤ!」って、アイステージで披露されてる曲と性質が違う。

「ココロハレルヤ!」は華房心さんが、第1回アイチュウアワードで自身の「きゃわゆさ」筆頭の魅力で勝ち取った勝利によって作られた華房心さんだけのための歌で、この歌の存在そのものが彼女の「アイドルとしての強い魅力、力」を認め、主張していると思います。

ほかの曲も漏れなく大切な素晴らしい曲だしそれぞれにヒストリーがあるのがアイ★チュウの曲の素敵なところなんだけど、とにかく「ココロハレルヤ!」はわかりやすく存在の毛色が違う。

 

そういう曲が、音源で聴いている時に感じていなかった予想外の感動をライブ中におこして人を狂わせたこと…これはもうどこからどうみても「「「リアル」」」なんですよ!

 

ライブって、生き物がその時のみの奇跡やマジックを起こすことが最大の魅力で、「生き物に許されたエンタメ」だと思います。

だからどんなものでも生き物がやっている以上、ライブ形式のものに勝るものはなかなかないのでは、と思います。色んなアプローチや楽しみ方があるから一概には言えないけどね。

 

アイドルという偶像は、偶像であれど生き物で、「ファンと成長できる偶像」だと思うし、まあ私の薄いアイドルへのイメージはさておき「アイ★チュウ」というコンテンツについては「成長するアイドル」を見つめられることがセールスポイントといえるので、華房心さんにも「成長する姿」「変化する姿」をみてもいいし、リクエストしていきたい。

 

今を生き変化し続け成長していく華房心さんというアイドルが、今その時を生きてその時初出しの「マジック」を起こしたから、「ココロハレルヤ!」に華房心エアプ勢も大泣きしてしまったんですよ。

 

ライブという生き物だけに許されたエンタメで人に感動を与えた華房心さんは、本当に「今ここに存在する生きている人間」なんだよ。

 

二次元アイドルコンテンツ戦国時代、JPEGのままサービス終了していくアイドルもたくさんいるし、もしくは誰かにとってJPEGを抜け出したアイドルになったのにサービス終了に飲まれるアイドルもいる…

 

その過酷な波の中でたくさんの人に愛される「リアルを生きてると強い手応えがあるアイドル」になった華房心さんという存在にドキドキしてしまうし、華房心さんをアイドルとして肉付けしていってるのは他ならぬユーザーのオタク共の執着心なんだなあと思うと、彼女の存在にあまりにたくさんの人間の想いがのしかかり過ぎていてその圧に泣いてしまったのかもしれない…

 

あの5分に満たないパフォーマンスの中に、華房心という存在の強さや美しさがてんこ盛りでドキドキしたし充実を感じたなあ。そういう「なんて素敵なんだ!」と思った感情をリアルタイムにダイレクトにステージへ届けられるし、届けあいの合戦場みたいな所あるから、私はライブが大好きです。

 

アイステージ最初は不安だったし割と否定的だったんだけど、始まってみたら知らなかったアイチュウの素敵なところを掘り起こせたりしてとんだハッピーエンタテインメントだよね。

「最初からハッピーエンドの映画なんて3分あれば終わっちゃうだろ」ってポルノグラフィティも言ってた。その通りだよ!

 

疑ってみたり(ほんとに2.5とか大丈夫か?)不安だったり(売上とれてるの?キャスト変更あるの?)そして最後にキスでしめるのさ~!!

しめさせねぇよ!!!!4月楽しみだなあ!!