アイチュウオタクの備忘録

愛童星夜くんとノアさんのファンで、I♡B推しです。

セイヤンを観てきた話

※アイ★チュウの話ではない

 

アイ★チュウの話ではないけれど「勇者セイヤンの物語〜ノストラダム男の大予言〜」を観劇しました。

アイチュウの話ではないといいつつそういうことなんだけれども(据え膳食わぬはオタクの恥 ビジネスには乗っかからないと失礼だろ)

 

感想の備忘日記なのでネタバレというほどでもないけど内容に触れるのでこれから円盤でフレッシュな気持ちでみるって人がいたら読まない方がいいと思う。

 

まずシリーズものなのに、ノーガードガバガバで行ってもすごく楽しめた!

楽しめたし、「ああここは前作までの内容を掘り下げなりスポイトして広げてるのな」って所もあったしそれがわかりやすくてよかった~!

メタい感じとかがドットゲームの世界観(ドットゲームの時代のムーヴと親和性が高いというか…)とあってて、サブカルチャーのくすぐったさがあってニコニコできた。

 

一番お得と感じた所ですが、「女性が可愛い」!

男の子目的で行っておいてなんだけど、生き物として女が圧倒的に大好きなので女が活躍するだけで喜び笑顔になってしまった…女とはよい生き物だ…存在だけで嬉しい。

私が初見キメた回はソウコ役が田辺留依ちゃんだったんですけども、声の可愛さに圧倒されたし時折桑島法子の波動を感じて懐かしい気持ちになってメロメロになってしまった。初舞台と何度も言われていた気がするが私はその言葉を信じられないのでたぶん私が知ってる「初舞台」と違う意味があるんだろうなあと思う。

アフタートークで挨拶しながら泣いて喋れなくなってしまう田辺留依ちゃんをみてしまったとき、席代以上の金額を支払わないと違法な気がしてハラハラしたしどんな舞台でもだけどキャストのそういう、物語の枠を出た所まで、演じた物語やキャラクターが侵食してしまっている様をみると「そんな大切なものを無料でみてしまうのは本当に申し訳ないしその涙や気持ちは大事なものだからはやくしまって暗所に保管してください」と思っている…まあありがたく拝見してしまうんだけど…。

声もお顔もお芝居も可愛かったからまたうっかり別現場で田辺留依ちゃんみれたらめちゃくちゃハッピーだなと思いました。ヒロインぢからが強かった。

スラウィムの二人などは2018年ベスト百合賞を授与されていいくらいお行儀の良い女2人の叙情が働いたキャラクターだったので、このふたりと3ショットチェキが撮りたかった。1枚3000円くらいで。

あとマカロン王女のきれいでちょっと女性優位のお姉さんって感じのところは私の童貞心が活発に働いて「こ、困るニダ~!!」と口元を手で覆ってしまったし、ダリアとアイビーのような社会的スペックは同じ女の憎悪の絡む執着の関係もその都合の良さも、「関係」であることに変わりなくて楽んじゃいました。

後から気づいたのだけど、歩兵のお姉さん…「気が強そうな女だ!いいなあ!」と思っていたんだけどこの人…「初等教育ロイヤル」で不思議なタイツのはきかたしてた気の強そうな女だ!!気の強そうなきれいなお姉さん…気の強そうなきれいなお姉さんじゃないか!!

初等教育ロイヤル」はみにいこうとした週に事故にあっていけなかった人だからまだ履修してないんですけども、パンフみせてもらって目をつけてた女はいたし歩兵3と清水さん役の林千浪さんのこと「いい女じゃん」認識していたので、私はこういう気の強そうな女が好きなんだなあと新しく自分の要素を認めることができました。よかったです。

 

本題がここからで、口の中を苦くしていることの話。「セイヤンめちゃくちゃ悲しい話じゃん…」っていう話です。

 

「セイヤン」シリーズは今回の作品が初見で、本当に前知識0(過去作で橋本真一さんが出てたことくらいしか知らない)で観にいったど素人の感想だからムラや矛盾はあると思うんだけれども。

 

世界観やビジュアルがポップだったので、明るく楽しい舞台だと思って行ったのに、な…なんか観終わったあとの気持ちとしては「そんなん聞いてないが…」という気持ちが強い。

 

それまで自分という「個性」を、当たり前に認め「これは自分の意思だ」と思って決断選択し喜怒哀楽して大切なものを得てきたのに、その全てが「別の存在の鏡」だったって事実、例え「君と俺は二人で一人」という存在のあり方を提示されても「自己や存在の否定」に変わりないのでは…と思う。「自己や存在の否定」がある事がとにかくつらい。

 

けどそもそもセイヤンの旅(=人生)の目的は、運命の人を探すことにあるので、ソウコと出会い互いを認めたことで救われてるから、セイヤンが自分の主観だと思ってきた時間が終わったとしてもその「終わりの時」にソウコが隣にいるので、セイヤンの旅(人生)の目的は果たされたのかなとも思うけど、でも存在の否定があった事実は変わらないし、ソウコの「あなただけのヒロイン」概念は、セイヤンが「自己の存在を否定される存在」であることにより成立するものなのでやりきれない。(2人の出会いとその存在を認め合い寄り添えること自体は素敵なのにそのルーツがお互いにあまりにかわいそうすぎる)

 

勇者1のポカで生まれてしまったセイヤンという存在自体、「子供は親(「自分」ではない生き物の行動や決断)によって命をもち、生きることになる」ことのような、誰かの一つの行いによって自分の意思とは無関係に生きることになったもののような、命の輪廻の中にあるある種の「不条理」をそのまま投影してるかのように感じて口の中が苦かった。(この世界観の中で「自分のルーツを知る」ことが幸か不幸かっていうのも掘れそうな話だ)

私個人、誰かとの関係によって自己肯定をしないというか、自分というピンの個性が何よりほしい人格なので、例えソウコというメサイア(めちゃくちゃ悲しいメサイアだ)を得ていたとしても、(ソウコからしたらセイヤンがメサイア)

「セイヤン自身」の中で完結する自己肯定は得ているのか、ソウコがいなくても成立するセイヤン自身のアイデンティティは存在するのか(実際、冒頭のソウコ未登場の自己紹介シーンでそれは存在していたし)と考えるとなんだかやきもきする。

 

そして何よりもやはり、みてる人…このシリーズを愛しここまで見守ってきた客席側のみんな。「ここに立っているキャラクターは主人公で、自我をもった独立した生命だ」と、その生命に信頼を寄せてみていたのに、それがバグ(本来あってはならないもの)として突きつけられて、

信じてみてきた心寄せていたキャラクターが暗闇へと「行ってしまう」ことをトゥルーエンドとして認めなくてはいけないこと、悲しすぎない?!えっ、悲しくない!?私は悲しいよ!?

 

本当、何を言っても現時点私は今までのセイヤン達のこと知らないのでセイヤンの幸福やその人生がもった意味とか、そもそもシステム色が強いこの世界の主人公であったセイヤンの「幸福」や「人生」がどんな温度で存在していたのかさっぱりわからないんだけど。

けどめっちゃかわいそう~悲しい~~…と思わずにいられない。

何かを知っていれば、何かを感じていればハッピーエンドに感じられるという作品は沢山あるので、たぶんその類の作品なんじゃないかなと思うんですけれども。

そう思うと過去作未見の今しか考えられない感想だからこれはこれで残して置こうと思いました。

エンディングで描かれたクエストクリア後の穏やかで優しい世界、犠牲はあったし(過去形)何ならその裏で現在進行形で犠牲がある(この言い方に多少の語弊感じるけど)のも、世界のバランスの縮図かなぁ…と、思っていた何10倍もこの作品から汲み取れる「世界」が多すぎて、「そんなん聞いてないが…」でした。

 

えっ、ひどくない?普通にセイヤンかわいそうだしソウコの存在もかわいそうじゃない?かわいそうって思ったら失礼なのかもしれんけどかわいそうじゃない!?たぶんしばらく思い出してはリフレインしてると思う。

 

マカロニ王子もかわいそうで劇中「かわいそう…」と思って観ていたんだけど(目当てに見にきた俳優の役3分の2がかわいそうだったからほとんどの時間メイン感情が「かわいそう」だった)なんだかんだ救われてよかったし、まあもう、「とんだ自分勝手メンヘラ女にしてやられたもんだな」と同情が強かった。まともな女とくっついてほしいニダ。

 

「俺たち2人の物語、勇者セイヤンの物語だ」

のセリフに答えが全部あるとも思ってて、5面のボスは勇者1になついて2人の関係性作った上で発展したこともある訳だから、この時点で勇者1とセイヤンは別のルートを辿っていて。別の個性といえるなあと思うと「2人の別々の存在によって作られる物語」であることの根拠に出来て、なんかそこを注視すれば私の中で色んなものが救われるような気がしなくもない。

 

なんか都合よく考えてるか?とも思うんだけど、最初に出てきた時の勇者1の立ち振る舞いが割とスタイリッシュでかっこいい説得力ある勇者だったと思うんだけど、一番最後の勇者1が、セイヤンのわはわはだばだばした感じの雰囲気、仕草がみられて「アァ…」とした。

あと土曜マチネ、カテコのあと最後のひとりになってはけていく最後ギリギリの際までセイヤンらしいセイヤンの表情や仕草の余韻を残して佐川大樹さんがはけていったのをみて「どこまでが勇者セイヤンの物語であるのか…」と哲学の人になってしまった。めちゃくちゃ好き

 

あと前作みてないから何だけど、序盤のわははでだばだばすってんどってんの表情も行動のモーションも大きく朗らかで快活なセイヤンが後半ナーバスで悲哀のあるムードに染まってしまうの、かわいそうだけどセクシーですごくよかったですね、すごくよかったですね…かわいそうといいつつ美しい男が苦しんでいる姿を金を支払いみるのはとても楽しいことなので。佐川大樹さんのお芝居の振り幅が広くて「わひゃあ…」としたのもだけど、劇中現れるセイヤンの感情の振り幅としても広くて、その広さとか素直さがセイヤンという主人公がもつ像そのものなのね、と思い漠然した気持ちだけど涙が出た。

セイヤンというキャラクターと対峙して彼を知ったのがこの数日の出来事の人間に、感情を引き寄せて同情や擁護の気持ち、理解をしようと促せるだけの引力を持っていた存在は、その存在のルーツがどうであったとしても主人公の冠が相応しい。「キャラクター設定としての主人公枠」が基礎概念にある世界の中で、「何か特別なもの」をもって物事を動かせた所は、設定の枠を超えた本質の「主人公」だったのかなあと思った。それだけの説得力をもったセイヤンを演じた佐川大樹さんの主人公ぢから、佐川さんのどのへんから出ているのか夏休み子供科学電話相談で聞きたい。

(佐川さんエアプだけどこの1年くらい?で観た佐川さんが広い意味で何でも屋さんすぎてどこからどう殴られるのかがわからなくて怖い)(恐怖は興味関心好奇心)

 

愛童星夜くんのファンだから、「主人公ポジション」とか「主人公っぽさ」などはどこから生まれてくるのかってことを考えるし、愛童星夜くんを「主人公というシステムとして扱わない」ところがアイチュウの大好きなところなんだけれども。セイヤンの主人公たる姿はその逆流で考えられるものだったのかなぁと思う。これまた気が向いたら日記するね。

 

細かいことまだ色々思ったことあるけども、総合してすごいおもしろかった~!弊社土日休みだから平日来れんけど、正直死ぬほど暇だった平日とか公演期間中にあったからどうにか何とか駄々をこねて休みを作ってセイヤンみにいっとけばよかったとか思った。ワルなのですぐにサボろうとする。

チェキ会のある現場(チェキ券買ってつめるような催し)初めて入ったんだけどあんだけ動き回ってソワレも控えてるのに大勢のキャストが長い時間チェキ会参加してくれて、大丈夫なんですかってくらい福利厚生がよすぎるチェキ会だったのでビビり倒しました。関わった全ての人、キモオタクに漏れなく優しいからすごいなあ。優しい人の優しさにつけ込んでしまった感じがするから悔い改めて生きていこうと思いました。接触現場は禅寺。

 

 

爆走おとな小学生さんの企画が楽しい楽しいハッピーコンテンツだということはよくわかったので、まあ今度はそのつもりで予定をたてよ~と学びました。12月じゃなければ軽率に回数つみたいよ。

あと佐川さん登野城さん須永さんのセット売りビジネスにガンガンのりたいのでできるならまた是非お願いしたいなって思いました。うるせーーーーー金が回ることはいいことだろ!!!!!!!!

 

久しぶりに舞台らしい舞台(?)をみたし、だばだば泣いて感情ストレッチデトックスしたのでほんと楽しかった。台風すごかったけど、無事に岐阜にも帰ってこれたのでよい週末の過ごし方でした。おやすみ。